小百合〈さゆり〉が去った後。
公園のベンチで一人、悠人〈ゆうと〉は泣いた。小百合の儚さに触れ、それでも自分の人生を歩もうとしている強さに触れて。これ以上何も言えない自分の弱さに涙した。
また俺は、目の前の幸せを失ってしまった。何が、何がいけなかったんだ……そんな思いがぐるぐると回り、涙が溢れて止まらなかった。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、泣いてるの?」
顔を上げると、目の前に小鳥〈ことり〉が立っていた。
夕焼けに包まれた公園に、小鳥の影が長く長く伸びていた。 悠人が慌てて涙を拭う。「どうした小鳥。一人で来たのか?」
「うん。お母さんが、公園は一人でもいいって」
「そうだったな。でも車には気をつけるんだぞ。それから、知らない人とは話しちゃ駄目だからな」
「うん。先生もそう言ってた」
「いい子だな、小鳥は」
微笑み頭を撫でると、小鳥が嬉しそうに笑った。
「悠兄ちゃん。もうすぐ小鳥ね、おばあちゃんとお母さんと引越しするの。悠兄ちゃんも来るの?」
「……」
その言葉にまた、涙が溢れてきた。
「おばあちゃんの家に行くんだって。おばあちゃんの家、いっぱい山があって川があって、お風呂も大きいんだって。小鳥、楽しみなんだ」
「そうか、楽しそうだな……よかったな、小鳥」
そう言って、もう一度頭を撫でる。
「でもごめんな。悠兄ちゃん、小鳥と一緒に行けないんだ」
「だから泣いてるの?」
「そうかも……な……」
「もう、悠兄ちゃんと会えないの?」
「……」
その言葉に、悠人が耐え切れず嗚咽した。
「悠兄ちゃん、大丈夫?」
「……あ、ああ、大丈夫だよ。小鳥、あ
「悠人〈ゆうと〉さんとデート出来るとは……川嶋弥生〈かわしま・やよい〉、感激であります。ビシッ!」「弥生ちゃん、大袈裟だって」「いえ、今日は私、川嶋弥生にとって記念すべき一日であります。天も私を祝福してくれるかのような青空。本当、深雪〈みゆき〉さんには感謝です」「ははっ……」 * * * ゴールデンウイーク初日。 弥生と二人きりでのデート。 旅行の後、6人の関係はこれまで以上に深くなり、事あるごとによく集まるようになった。場所は特に決まっていなかったが、自然と悠人の家か深雪の家に集まっていた。 菜々美〈ななみ〉も小鳥〈ことり〉たちと連絡を取りあうようになり、よくマンションに顔を出すようになっていた。 深雪は悠人たちの不思議な関係を見守るスタンスで、たまに個人的に相談話を持ちかけられたりしていた。 その日も深雪の部屋に皆が集まり、鍋パーティーが催されていた。 そこでゴールデンウイークにどう過ごすかという話題になり、沙耶〈さや〉が悠人にデートを申し込んだことから火花が散らされた。 悠人へのアピール合戦が始まり、事態を収拾させるべく深雪が出した提案が、一人一日ずつ、交代でデートをするというものだった。悠人の意思はそっちのけで4人がその提案を了承、深雪の作ったくじで順番が決められた。 4日連続のデートに、最初は異議を唱えていた悠人だったが、考えてみれば最近、彼女たちと個人的にじっくり話をしてなかったと感じ、デートの内容を全て自分が決めるのであれば、との条件で了承することになった。 * * *「しかし驚きましたです。まさか悠人さんが、私とのデートに車まで借りてくださるとは」「車でないと、不便なとこにも行くからね」「車でないといけないところ……わくわくてんこ盛りです」「しかし、今日の弥生ちゃんのコスも気合入ってるね。イヴのダークバージョン、もうある
「どうした?」 立ち止まった小鳥〈ことり〉を振り返り、悠人〈ゆうと〉が声をかける。 小鳥は腕に強くしがみつき、悠人を見上げた。「小鳥?」「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん……」 悠人を見るその瞳は、憂いに満ちていた。「お母さんへの気持ちは分かった。やっぱりお母さんは、悠兄ちゃんの中で大きな大きな存在なんだって……それで、あの……悠兄ちゃん、小鳥は……」「……」「小鳥はどうなのかな……まだ私は……幼馴染、水瀬小百合〈みなせ・さゆり〉の一人娘、5歳の女の子なのかな……」「……」「悠兄ちゃんが私を大切に思ってくれていること、すっごく嬉しい。でもそれって、悠兄ちゃんにとって、私がいつまでも『可愛い小鳥ちゃん』だからなんだって……そう思ったらね、胸が苦しくなる時があるんだ……」「小鳥……」 甘い吐息が悠人を誘う。小鳥が頬を紅潮させ、潤んだ瞳で悠人を見つめる。「悠兄ちゃん……私は……水瀬小鳥はもう大人だよ……水瀬小鳥は工藤悠人さんのことを、心から……愛して……」 悠人の胸の鼓動が、不自然に高鳴っていく。「悠兄ちゃん……」 小鳥が胸に顔を埋める。 その時悠人の中に、小百合の娘の小鳥ではなく、一人の女性、水瀬小鳥に抱きつかれているという意識が生まれた。 そのことに困惑し、動揺した。「小鳥……」「悠兄ちゃん…&hellip
「……」 悠人〈ゆうと〉がゆっくりと目を開ける。 視界の先には、見慣れない天井があった。「そうか……旅館だったな……」 時計を見ると、夜中の2時を少しまわっていた。 窓の外に視線を移すと、深い闇が広がっていた。 過疎マンションの夜も静かだが、旅行先での夜の静けさは、また格別なものだった。「ちょっと出るか」 ジャケットをはおり、悠人は廊下に出た。 隣の部屋は静まり返っている。彼女たちもお休みのようだ。 ロビーの下駄を履いて外に出ると、ひんやりとした風が気持ちよかった。 温泉街の少し外れに位置するこの旅館、辺りには特に何もない。静寂と闇が広がっていた。「こういうの、いいよな……」 自然と顔がほころんだ。カラカラと下駄の音がこだまする中、販売機を見つけて缶コーヒーを買ったその時、背後に人の気配を感じた。「……」 振り返るとそこに、浴衣姿の小鳥〈ことり〉が立っていた。「小鳥か……おどかすなよ」「やっぱり悠兄〈ゆうにい〉ちゃんだった。目が覚めて寝付けそうになかったから、ずっと外を見てたんだ。そうしたら人が見えて、悠兄ちゃんに見えたから追っかけてきたの」「それはいいけど小鳥、その格好、寒くないのか?」「あ、あははははっ……慌ててたから、このまんまだった」「風邪ひくぞ。これ着とけ」「でも、そうしたら悠兄ちゃんが」「いいから。こういう時は黙って着てろ。女の子の礼儀だよ」「ありがと、えへへっ」 小鳥が嬉しそうに袖を通す。「あったかい……悠兄ちゃんの匂いがするよ」「こっ恥ずかしいこと言うんじゃないよ。ほら、小鳥も飲むか」 そう言
小百合〈さゆり〉が去った後。 公園のベンチで一人、悠人〈ゆうと〉は泣いた。 小百合の儚さに触れ、それでも自分の人生を歩もうとしている強さに触れて。これ以上何も言えない自分の弱さに涙した。 また俺は、目の前の幸せを失ってしまった。何が、何がいけなかったんだ……そんな思いがぐるぐると回り、涙が溢れて止まらなかった。「悠兄〈ゆうにい〉ちゃん、泣いてるの?」 顔を上げると、目の前に小鳥〈ことり〉が立っていた。 夕焼けに包まれた公園に、小鳥の影が長く長く伸びていた。 悠人が慌てて涙を拭う。「どうした小鳥。一人で来たのか?」「うん。お母さんが、公園は一人でもいいって」「そうだったな。でも車には気をつけるんだぞ。それから、知らない人とは話しちゃ駄目だからな」「うん。先生もそう言ってた」「いい子だな、小鳥は」 微笑み頭を撫でると、小鳥が嬉しそうに笑った。「悠兄ちゃん。もうすぐ小鳥ね、おばあちゃんとお母さんと引越しするの。悠兄ちゃんも来るの?」「……」 その言葉にまた、涙が溢れてきた。「おばあちゃんの家に行くんだって。おばあちゃんの家、いっぱい山があって川があって、お風呂も大きいんだって。小鳥、楽しみなんだ」「そうか、楽しそうだな……よかったな、小鳥」 そう言って、もう一度頭を撫でる。「でもごめんな。悠兄ちゃん、小鳥と一緒に行けないんだ」「だから泣いてるの?」「そうかも……な……」「もう、悠兄ちゃんと会えないの?」「……」 その言葉に、悠人が耐え切れず嗚咽した。「悠兄ちゃん、大丈夫?」「……あ、ああ、大丈夫だよ。小鳥、あ
「なんで、なんでこんなことに……」 公園のベンチで、悠人〈ゆうと〉が肩を落とした。「……」 小百合〈さゆり〉の頬を涙が伝っていた。 * * * 二年後。 小鳥〈ことり〉は5歳になっていた。 あの運動会の時、体調がすぐれないと言っていた小百合の父が肺癌で倒れ、闘病生活の末にこの世を去って間もない、ある日のことだった。 小百合の家は社宅で、近いうちに引っ越さなければならなかった。悩んだ末に小百合が出した結論は、母と小鳥と三人で、母の実家のある奈良に引っ越すというものだった。 悠人は目の前が真っ暗になった。 まただ。また運命は、俺から幸せを奪おうとする。 しかし悠人は、もう後悔したくなかった。臆病な気持ちに負けたくなかった。 何より目の前で泣いている小百合、そして小鳥を失いたくなかった。「小百合。俺と結婚してくれ」 不思議なほど穏やかに、その言葉が出ていた。 これまでずっと、口にすることが出来なかった言葉。再会してからのこの三年、その言葉を胸にしまいこんでいた。今ここで、このタイミングで言うことが卑怯だと分かっていた。それでも悠人は、その言葉を口にした。「俺はこの三年……いや、お前と離れてからずっと、この言葉をお前に伝えたかった。 俺はお前のことが好きだ。この世界の誰よりも好きだ。 小百合、俺の嫁になってくれ。そして小鳥の……小鳥の父親にならせてくれ」「……」 止め処なく流れる涙を拭い悠人を見上げると、悠人も泣いていた。「ずっと、ずっとこの言葉、伝えたかった……小百合、愛してる。俺の残りの人生、全部お前と小鳥に捧げる」「悠人……」 小
昼。 レジャーシートの上、三人で弁当を囲んだ。「こんなところで弁当食べるなんて、何年ぶりだろうな」「小学校以来かな」「たまにはいいもんだな。ほら小鳥〈ことり〉、ご飯粒ついてるぞ」 そう言って、小鳥の頬についたご飯粒をつまんで口に入れる。「悠人〈ゆうと〉もほら、こっち向いて」「え?」 悠人の頬についたご飯粒を取り、小百合〈さゆり〉が食べる。「悠人も子供だね、相変わらず」「ははっ」「ほら悠人、しっかり食べてよ。昼から保護者の100メートル走なんだから、元気つけとかないと」「ああ。小鳥、悠兄〈ゆうにい〉ちゃん頑張るからな」「がぁーんばー」「でも小百合、おじさんの具合どうなんだ? あんなに初孫の運動会楽しみにしてたのに、朝になって調子が悪いって」「うん、たいしたことはないって言ってたけど。ちょっと心配」「後でお見舞いに行っていいかな」「きっと喜ぶよ。また将棋でもしてあげてよ」「またカモにされるのか……」 * * * 昼食が済み、保護者参加の100メートル走が始まった。「悠人―っ、がんばれーっ!」「ゆーいーちゃーん!」 小百合と小鳥が手を振る。小百合が作ったはちまきをした悠人が、二人に手を振って応える。「小鳥―、見とけよー。悠兄ちゃん、一等取るからなー」「いちについて、よーい」 パンッ!「うおおおおおおっ!」 * * *「悠人、重くない?」「え? あ、ああ大丈夫だ。それより、ててっ……」「大丈夫? 膝、まだ痛いでしょ」「まあな。でも痛いのは膝じゃなくて」「心?」「その通りで&h